Category: 仏教生活

「明日世界が滅亡するとしたら何をしますか?」

By 松下 弓月, 2009年9月19日 00:27

「明日世界が滅亡するとしたら何をしますか?」

会社の採用試験をテーマにした『ソクラテスの人事』というテレビ番組で取り上げられていたこの質問は、講談社が実際に採用試験で出したものだそうだ。番組では講談社の人事部二名に対して、十人ほどの芸能人たちがそれぞれ趣向を凝らしてこの質問に答えていた。好きな人に告白して成功すればその日のうちに結婚式を挙げるとはるな愛が答えれば、森永卓郎は人類の文化を後世に残すため種子島宇宙センターのロケットに載せて宇宙に発射すると答えた。自分が最も大切にしているものが何かに関わる質問だけに、誰でも何をすべきか真剣に考えざるを得ない問いだろう。

結局講談社の二人は森永卓郎と、ただそれまでのことの感謝の祈りを捧げると答えた江守徹を採用すると答えたあとで、「なにもしない」と答えてかぶってしまった二人を「同じ考えをする人間は必要ない」と切り捨てていた。しかし、この「なにもしない」という答えこそが、この質問の本質を捉えた答えではないかと思う。

なぜなら、この問いは私たちが生きている限り常に突きつけられている問いに他ならないからだ。私たちは今日と同じように、明日を何ごともなく迎えることができると思い込んでいる。しかし、夜眠りについて朝何事もなく目を覚ますという保証も、毎日渡る信号を今回も無事に渡ることができるという保証もない。明日を無事迎えられるかどうかなんて誰にもわからないのだ。『タッチ』の上杉達也は人生最後の日となった地区予選決勝戦の朝、南とともに甲子園に立つ以外にどんな未来を想像することができただろうか。私たちは現実に明日にでも、いや今日にでも、私自身の「世界が滅亡する瞬間」を迎えてしまう可能性とともに生きているのだ。

アップルのCEOスティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で行った歴史に残る名スピーチで、17歳のときに出会ってとても感銘を受けた死に関する言葉を紹介している。「毎日これが人生最後の日だと思って生きなさい。いつか必ずその通りになる日がくるから」。そう。どんなに人間にも平等に最後の時はいつか必ずやってくる。私たちが何気なくする毎日の行動も、いつか「明日世界が滅亡するとして」選んだ最後の行動になる日が来るのだ。

「明日世界が滅亡するとしたら何をしますか?」。今日一日のあなたの行動こそが、この問いへの本当の答えだ。

輪廻しない世界の仏教

By 松下 弓月, 2009年9月14日 22:17

 仏教における救いとは、永遠に続く生まれ変わりの連続(=輪廻)から抜け出すこと(=解脱)だ。生まれ変わって人生をやり直せるというなら、むしろ嬉しいことのように感じられるかもしれないが、この輪廻というのはヤクザの組織みたいなもので、一度入ってしまったら自分の都合で簡単に抜け出すというわけにはいかない。とても良い条件に生まれて最高の生を享受しているならまだしも、ひどい条件に生まれて一緒を苦しんで過ごさなければならないこともある。動物や虫、ひどいときには地獄で鬼にいたぶられることだってある。しかも、どんなに良い生であっても、結局は年を取り病にかかり最後には死という苦しみが待っていることに変わりはない。この生まれ変わりを何度も何度も、それこそ永遠にくり返さなければならないのだとしても、それを良いことと言えるだろうか。ブッダはこの永遠に続く生の連鎖を目の前にして、どうにかそこから解き放たれる方法を見つけ出そうと試みて、ついにはそれを発見した。容易には抜け出せないこの檻からの脱出方法を見いだしたから、ブッダとその教えは尊いのだ。

 こうした輪廻に基づく生まれ変わりという考え方は、まがりなりにも仏教国として千年以上の歴史を持つ日本では誰もが耳にしたことがある一般的な概念だろう。世界最古の長編小説とも言われる『源氏物語』や妻夫木聡主演で映画化された三島由紀夫の『豊穣の海』など、生まれ変わりをテーマにした物語は今も昔も日本人にとってごく身近なものと言える。また現実生活においても葬儀や法事の場で「浄土に行けますように(つまり、この世界から浄土に生まれ変わりますように)」と祈ることは、なんら違和感を感じない行為であったであろう。

Continue reading '輪廻しない世界の仏教'»

テーラワーダ/大乗仏教の交流と、戒律の溝

By 松下 弓月, 2009年5月12日 02:23

彼岸寺に日本テーラワーダ仏教教会のウェーサーカ祭について紹介記事を書いた。

今年ははじめてテーラワーダ仏教サンガのお坊さんと日本の大乗仏教僧侶による合同法要が行われるそうだ。ウェーサーカ自体まだ参加したことはないのだが、これは画期的な試みではないだろうか。

ここ数年でスマナサーラ長老をはじめとするテーラワーダ仏教の僧侶の活躍は著しく、長老はいまや日本で活動する僧侶のなかでも最も尊敬される僧侶の1人であることは間違いない。非伝統教団的な動きはあまり歓迎されないのが日本仏教界の常だが、こうして合同法要が行われるということは大乗仏教の僧侶のなかにもかなり賛同者が増えてきたという証拠だろう。

曹洞宗の開祖・道元禅師が宋に渡る際お坊さんにとっての学位号である戒牒を偽造せざるを得なかったというエピソードに明らかなように、伝統的に戒律が軽視されてきた日本と海外仏教の溝は深く長い〈参照:松尾剛次『破戒と男色の日本仏教史』(平凡社新書)〉。当時、戒律の国際基準を満たしていたのは東大寺戒壇のみで、延暦寺で受戒した留学僧たちは東大寺で受戒したという度牒を偽造しなければ入宋できなかったのだそうだ(比叡山では菩薩戒のみの受戒で、戒律の国際基準・具足戒は授けていなかった)。

Continue reading 'テーラワーダ/大乗仏教の交流と、戒律の溝'»

Panorama Theme by Themocracy

Better Tag Cloud