村上春樹原作の映画『神の子どもたちはみな踊る』を観てきた
先日東京に行ったとき、予定が変更になり時間が余ってしまったので、シネマート六本木で上映中の村上春樹の短編を原作にした映画『神の子どもたちはみな踊る』を観てきました。シネマート六本木は先日亡くなられた今敏監督の『パプリカ』を観に行って以来で、なかなか感慨深いものがありました。原作は1999年に発表された同名の短編集に収められたもので、新興宗教の信者の母親を持つ男の子がある日一度も会ったことのない父親を見つけ、こっそりそのあとを追いかけるという話です。
本作ははじめて海外で制作された村上春樹原作の映画だそうで、原作では日本が舞台になっていたのがアメリカに移され登場人物たちもアジア系のアメリカ人となっています。25歳の出版社で働く日本人の男の子が主人公だったのが、映画では日本人の名前を持つ(ケンゴと呼ばれていました)ロサンゼルスのコリアタウンに暮らす中国系アメリカ人に移されています。この物語の重要な要素になっている宗教も、原作では神を「お方」と呼んでいて神道系の雰囲気をただよわせていたのが、映画では神様と呼ばれ十字架が出たりしてキリスト教系の雰囲気になっています。話の基本的な筋はほとんどまったく変わらないだけに(主人公の彼女との関係だけ少し変更されています)、このあたりの変更にはいささか戸惑ってしまいました。制作上の都合で変わっただけなのか何か意図があるのか判断がつかなかったので、このあたりに触れているインタビューがあれば読んでみたいところです。
とはいえ、初映画監督作となったロバート・ログバルはCM出身だけあってか、被写体の配置やカメラの角度、色合いなどに凝っていて何気ない日常の景色が美しく、原作の静かだけれどもどこか奇妙な雰囲気がよく感じられました。主要キャストはたった四人なのですが、ツイン・ピークスで製材所の経営者を演じていたジョアン・チェンをはじめとして、映画の雰囲気にはぴったり。ケンゴを演じたジェイソン・リュウは俳優だけでなく演劇の演出や執筆もしているそうで、ガス・ヴァン・サントの新作『Restless』では共同脚本を手掛けるそうでこちらも観てみたいところです。
映画に合わせて原作を久しぶりに読み返して感じたのが、習慣の積み重ねが私たちにどれほど大きな影響を与えるかということです。原作では若くて美しい母親が裸で家を歩きまわったり寂しくなると寝床に入り込んでくるために、いつか性的関係を持ってしまうのではないかと恐れて、主人公は早くから多くの性行為を持ったと描かれています。映画でも、まるで恋人同士のように下着だけで一緒に寝転んでいるシーンが描かれています。親子なのですから小さなうちは一緒に寝ることはごく当たり前のことだったのでしょうが、繰り返されるうちにそれがいつの間にか、主人公に暗く抑えがたい衝動を育んでしまったのでしょう。
原作の短編集に収められた『蜂蜜パイ』に象徴的な一文があります。希望通りに新聞社に就職し記者の仕事を楽しみ大学時代からつきあっていた「世界でいちばん素晴らしい女」と結婚し、順風満帆の新婚生活を送っていたにも関わらず、職場の同僚と浮気をして結局は離婚することを選んだ男が親友の淳平に語る言葉です。
「否定はしない。俺は自らの人生を損なっている。でもな、淳平、これはどうしようもないことだったんだ。止めようもないことだったんだ。どうしてそんなことが起こったのか、俺にもわからない。申し開きもできない。でもそれは起こったんだ。今じゃなくても、いつか同じことがどこかで起こっただろう」
もし私たちが毎日の生活の中でするべきでないことを積み重ねているのなら、それは私たちをいつの間にかもう引き返すこともできない袋小路に運んでいきます。一つひとつの力は小さくてもその行為を繰り返していくうちに、いつの間にかそれはとても大きな力を持つようになってしまうからです。年にたった数センチしか移動しないプレートが、わずかずつ動いてくうちに突如巨大な振動を引き起こす地震はそのメタファーでしょう。この力が開放されたときには、もう私たちにできることは何もありません。
原作ではこの力に対抗するには、私たちを超越したもう一つの大きな力が顕れるのを待たなくてならないと示唆しています。「神の子だから」と彼女との結婚を拒んだ主人公が、もう一度その関係を立てなおすきっかけを得たのは神かもしれない父親の出現によるものでした。では、そうした「奇跡」の訪れを待つ以外に、習慣が育む大きな力に対抗する術はないでしょうか? 私は、習慣の力に対抗しうるのは、同じ習慣の力しかないように感じます。いかに毎日良いものを蓄積していくか。「神」や「かえるくん」がやってくることのない私たちには、それだけがたったひとつの対抗手段だと思うのです。
ちなみに、この『神の子どもたちはみな踊る』は個人的には村上春樹の短編では一番好きなものです。特に「蜂蜜パイ」は、ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』のような物語の力を感じる素晴らしい話だと思うので、未読の方にはぜひお読みいただきたいところです。オススメです。
| 神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫) |
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村上 春樹
新潮社 2002-02 |




